バツイチ父さん

こんにちは、こんばんは、テンパパです。毎日暑いですね。夏生まれのテンパパはこの暑さが大好きです。

最初の記事で簡単に自己紹介をしましたが、もう少し詳しく自身の紹介を皆さんにお伝えすることによって、今後投稿していく記事の内容に少しでも共感してもらえたり、似たような境遇の方へのお力になれるかと思い、自己紹介第2弾をします。
出来るだけお伝えできる範囲で綴っていきたいと思いますのでよろしく。

自己紹介 part2

兵庫県但馬地方に在住の32歳です。このブログでは、子育てに加えて但馬地方に遊びに来てもらった際に役立つ慣行スポットの紹介や、グルメの情報発信もしたいと考えています。

高校卒業後、大阪の福祉短大を経て地元に戻り福祉施設に就職しました。この時大阪で勤務先を探す選択肢もあったのですが、地元に戻らなければならない理由が…。当時付き合っていた彼女との間に子どもが出来たことが大きな理由です。

19歳で短大2回生の時に妊娠がわかり、20歳で生まれました。元嫁の出産に向けて資金を準備するための日中、夜間のバイトの日々、なかなかに大変でしたが、若さで乗り切れました。当時の自分は事の重大さにあまり気付かず心の準備や出産後の生活の準備等、何も準備をせずに迎えたように記憶しています。

短大卒業後、すぐに地元に戻り元妻と息子との3人暮らしがすぐに始まりました。親としての自覚を持てる程人間としても出来ていなかった私は、働き出して自分でお金を稼ぎ出した友人達に誘われるがまま、覚えたてのお酒を飲みに頻繁に出かけたり、都会に住んでいる友人の家に遊びに出かけたりと家庭を省みず自由にしていました。その間元妻は私を悪く言うこともなく子どもとの時間を大切にし、夫婦間の家族を持つということに対する温度差が、夫婦の関係に亀裂を生みました。

そんな日々を2年程送り、気付いた時には元妻と息子とは別居し、生活を送るだけの関係となっていました。その時になってようやく自身の今までの行動を反省することとなるのですが、一度出来てしまった溝を修復することはできず、元妻からの信頼も取り戻すことはできない状況となっていました。自分の事しか考えずに過ごしてきたことを物凄く後悔しました。離婚までは時間の問題で、元妻と話し合い月々の養育費、息子との面会はなし、という条件での離婚となりました。当時25歳でした。

ちなみに息子への養育費は月4万円で、自分の年収ベースで考えた時に高額だということもわかってはいたのですが、お金で困ってほしくない思いと、自身への戒めとして支払いを続けました。

自分の職場に元妻の祖父が入所をしていたので、息子が義母に連れられ面会に来ることがあり、その時に成長を確認できました。おそらく元妻の配慮だったのかもしれない、と今になって思います。

そんな元妻も離婚成立2年後に再婚し、住まいが離れたので息子と会う機会もなくなり養育費の支払いも終了しました。

反省

この時強く反省をしたことは
・家族を持つということ、生活をともにするということは自分のペース中心に物事考えてはいけない
・子育てについてもっと興味を持って積極的に関わっていくべきだった。
・家族や息子と出かける機会をもっと作るべきだった。
・日頃から元妻に対して感謝の言葉を伝えるべきであった。
・元妻が生活のどの部分を負担に感じ、どう分業すれば良かったのか。
・その日1日あった出来事をお互い話し合う等、夫婦の時間を大切にするべきであった。

まとめ

今でこそこの時の反省を生かし、家族との時間、現妻との時間、息子との時間を大切にしたいと思えますが、当時若かった自分は自分のことしか考えられない大馬鹿者でした。
あまり需要のある内容ではなかったかもしれませんが、世の中の新米パパが同じような経験をしないよう、少しでも参考になれば嬉しいです。

私が今の妻と再婚することになった話は、またの機会に投稿したいと思います。

今日の教訓

◎後悔しても、過去には戻れない。今の自分を俯瞰的に見る努力をすべし

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